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column 4 エクアドルの中のガラパゴス 楽園の歴史、危機、国際協力(新木秀和)

column 4 エクアドルの中のガラパゴス 楽園の歴史、危機、国際協力(新木秀和)

 ガラパゴス諸島はエクアドルの領土である。全体に占める比率は面積で3 %、人口で0.2%にすぎないが、ガラパゴスのほうが国自体より知られている。しかも「絶海の孤島」「原始の島」というイメージが強烈なため、大陸部との距離感も現実以上に遠くなっているようだ。

 エクアドルは南米大陸の北西、赤道直下に位置し、国名はスペイン語で「赤道」を意味する。首都のキト市では、赤道記念碑も観光の目玉である。ガラパゴス諸島の島々も赤道にまたがって点在し、クルーズ船は赤道を横切る。しかし、気候や生態の影響でさほど暑くはない。自然豊かなこの国は大きく4 つの地域からなり、ガラパゴス以外の3地域はアンデス高地部海岸部、およびアマゾン地域である。

エクアドル領有以降の歴史

 エクアドルは1830年グランコロンビアから分離独立し、1832年にガラパゴスを編入した。ダーウィン訪問の3 年前である。当初はエクアドル諸島と呼ばれていた島々はガラパゴス州とされ、一時期は海岸部のグアヤス州に編入されたが、1892年にはコロンブス(スペイン語でコロン)によるアメリカ大陸発見400周年を記念し、コロン諸島という正式名称を与えられた。しかし現在はガラパゴス諸島という名称が普及している。同時に、英語名で呼ばれた島々の名称もスペイン語名に変更され、しばしば英語名とスペイン語名が併記される。

 ガラパゴスがエクアドルの領土であり続けてきたのは、偶然かもしれない。帝国主義の時代に欧米列強(米国、英国、フランスなど)が租借ないし主権獲得を狙って外交的駆け引きを行い、エクアドル政府も外国融資と引き換えに手放そうとしていたからだ。実際、中央政府によるガラパゴス統治は20世紀まで積極的ではなかった。1928年から軍を常駐し、1934年には動物保護に着手するが、1959年までイサベラ島に囚人キャンプを維持していた。そしてユネスコやダーウィン財団による国際活動と並行して、エクアドル政府も自然保護政策に取り組むようになった。1968年から国立公園管理官を派遣し、1978年には国立公園局を設置した。国立公園化の動きは、島々の陸地を原生自然の空間(全陸地面積の97%)人間の居住空間(同3 %)に区分して、前者を国立公園とする政策であった。その間、1973年にガラパゴスは州へと昇格し、サン・クリストバル島のプエルト・バケリソ・モレノに州庁が置かれた。ガラパゴスは現在、エクアドルを構成する24州のひとつである。

サン・クリストバル島の風景

アシカが臨む対岸には、諸島陸域の3%を占める居住区が見える(波形克則撮影)。

サン・クリストバル島の風景

「楽園」に押し寄せる移住者

 もともとガラパゴスに先住民はおらず、人の移動によって人間社会が創り出された。19世紀から20世紀にかけて、フロレアナ、サン・クリストバル、イサベラ、およびサンタ・クルスの4 島を舞台に開拓と資源開発の試みが繰り返され、それら4島に人間が住むようになったのだ。大陸からのエクアドル人に加え、1920年代以降は欧米からも移住者が到来した。20世紀後半からは移住が本格化。観光業が急成長したことも、移住の波を加速させた。かつて水もなく人が住める環境でなかったガラパゴスだが、やがて大陸部よりも経済状況が良好で仕事も豊かな「楽園」のイメージに変わった。イメージの変化で大陸部から人々が殺到したが、国内移住であるため規制はなかった。

自然環境の持続的保全と島民生活の向上を目指して

 1990年代になると、人口の増大は、人間活動に起因する諸問題と相まって、諸島の生態系を危機的状況に陥れた。このためガラパゴス管理庁が設立され、1998年には移住規制や海洋資源保護を盛り込んだガラパゴス特別法が制定される。2000年代にはその努力が実を結ぶ一方で社会的紛争も発生した。島々では生活インフラの整備が目覚ましく、ケーブルテレビやインターネットもある。大陸とバルトラ島およびサン・クリストバル島の空港の間を毎日航空便が往復する。食料品や生活物資の大半は大陸から船で運ばれる。焼却されない生活ゴミは分別されて大陸に送られる。また諸島生まれの人口が増え、教育や就業の機会を求め、大陸部にまたがって家族が暮らす場合も珍しくない。島内政治は国政と直結し、島民意識(ガラパゴス・アイデンティティ)も醸成されつつある。このように人、モノ、情報の流れが活発化しグローバル化の動きが顕著となる中、自然環境の持続的保全と島民生活の向上に調和的発展を確立することがますます求められる。

 そのため国際協力も不可欠だ。日本とエクアドルの関係は1918年以来の歴史があり、ガラパゴスをめぐる交流も重要な軸である。JICA(独立行政法人国際協力機構)は海洋保全と環境教育を柱とする「ガラパゴス諸島海洋環境保全計画」を5 年間(2004~09年)実施し、JAGA(NPO法人日本ガラパゴスの会)は2005年以来、日本国内と諸島の双方で多角的な協力活動を展開している。