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4-8. ガラパゴスの病原微生物 目に見えない微生物の脅威(重中義信)

4-8. ガラパゴスの病原微生物 目に見えない微生物の脅威(重中義信)

 微生物学(Microbiology)の分野で取り扱う微生物とは、ウィルス細菌原生動物(原虫)などのように、小さすぎて肉眼で観察することが難しい生物たちである。しかしながらウィルス(Virus)の本体は細胞で構成されているのではなく、核酸やタンパク質のような化学物質である。ところが、生物細胞内に入り込むと、直ちに増殖するなど生物的な振る舞いを開始する。ヒトの体内では、彼らは最終的にインフルエンザ、エボラ出血熱、エイズ、黄熱病など多種多様な病気までも誘発してしまうので、彼らは微生物の仲間入りをしているのである。

 微生物の研究を推し進めていくには、顕微鏡が必須の機器だ。注目したいのは、ウィルスはその大きさが30〜300nmくらいと極小であるため、光学顕微鏡(分解能0.1μm)で直接観察することはできないということだ。そこで分子や原子の世界まで観察できるような電子顕微鏡(分解能:0.1nm)を使うことになる。ところが真核生物の場合にはその大きさが細菌類で0.5〜2.0μm、原虫類で3.0μm〜2.0mmほどもあるため、分子レベルの研究を要求しない限りは、光学顕微鏡でこと足りる。

 このことに関連して、野口英世の例を挙げておこう。それは、彼を死の床に導いた病気の原因(黄熱病病原体)が光学顕微鏡では見えないウィルスだと気づかなかったことに最大の原因があった。ところが、その数年後の1932年、ベルリン工科大学のエルンスト・ルスカ(Ernst Ruska)が電子顕微鏡の製作に成功している。野口がもう少し長生きをしていたなら、喜んだに違いない。

ウィルスがもたらす鳥ポックス病

 ポックスウィルス(Pox Virus)とは脂質二重膜からできた外皮をもつ最大のウィルスであり、地球上に棲む動物のほとんどがある種のポックスウィルスに感染しているといってよい。このウィルスは宿主(動物)間の直接接触によって簡単に感染する。現在ガラパゴスで問題となっている鳥ポックス病も、ゴミ焼場などに集まる小鳥相互の接触によって急速に感染拡大が起こり得る。小鳥たちがいったんこの病気にかかってしまうと、初期症状として、露出した皮膚(くちばしの付け根、目の周辺域、脚まわりなど)に瘤状突起ができる。さらにこの病状が悪化してくると、餌採りや生殖行動までも困難な状態に陥り、最終的には死をもたらす。サンタ・クルス島では、ダーウィンフィンチマネシツグミにこの病例が数多く見られるようになってきたが、ガラパゴスに棲息する13種のダーウィンフィンチのうちの2種が絶滅危惧種になっていることも、この病気が関係しているのかもしれない。

ガラパゴスペンギンと鳥マラリア

 ガラパゴス国立公園局は、2008年の秋に「ガラパゴスペンギンからマラリア原虫を検出した」と発表している。このマラリアの病原体は、ヒトでは原虫の1種プラスモディウム(Plasmodium)であり、熱帯地方では古くから流行している恐るべき病気である。この原虫は赤血球や他の組織に感染するアメーバ状の細胞内原虫であり、ハマダラカという蚊の吸血行為を通して鳥類・ハ虫類・ホ乳類などに感染を広げる。

 最近問題となっているガラパゴスへの定期的な蚊の侵入にも注目しなければならない。ネッタイイエカ鳥マラリア西ナイル熱などの病原体を媒介して諸島固有の動物に致命的な影響を与える心配があり、実際に居住区のある4つの島では、すでにこの蚊の存在が確認されている。ハワイ諸島において過去に、蚊が媒介した鳥マラリアによりハワイ固有の鳥が10種以上も絶滅したという前例もあるので、ガラパゴスでも早急に対処してほしいものである。

岩礁上のペンギン

ガラパゴスペンギンからもマラリア原虫が発見された(重中義信撮影)。
岩礁上のペンギン

ダーウィンの身体的不調とシャーガス病

 チャールズ・ダーウィンはガラパゴス諸島に至るまで、何度もビーグル号から下船して陸路を辿る旅を経験している。その中で彼が南米のルクサン村に宿泊したとき、サシガメの攻撃を受けているが、この動物は病原性原生動物の1種クルーズ・トリパノソーマTrypanosoma cruzi)の宿主だったのである。この病原体による病気はのちにシャーガス病(Chagas’ disease)と呼ばれ、中米や南米における心血管障害のおもな原因となっている。この病名はダーウィンの死後27年も経った1909年にブラジルの内科医カルロス・シャーガス(Carlos Chagas)が報告したことに由来している。

 ダーウィンが晩年に至るまで苦しみ抜いた不安定な体調の原因については、①遺伝による神経的なもの、②父親から受けたストレス、③母親の喪失による感情的な欲求などさまざまな精神的ストレスからくる過呼吸症候群の一種だとする説が有力だ。ところが、この病気の潜伏期が長かったこと、再度の筋肉痛に襲われていたこと、小腸・心臓・骨格筋の麻痺などの障害を併発していたことなどから判断すれば、やはりシャーガス病がおもな原因だったのではと考えたほうが妥当なのかもしれない。

 現在ではガラパゴス諸島の居住区にもサシガメ類が外来種として繁殖しており、島民にも多くのシャーガス病患者がいるといわれる。ところが、この病気に対する新たな薬やワクチンは開発途上にあり、現時点で効果的な治療法はまだ見つかっていない。そのため現在は、対症療法的に家の中を殺虫剤で処置することによって、媒介動物となるサシガメ類の繁殖を抑制し、直接的な虫の駆除を図るしか方法がないようである。