ガラパゴス観光の醍醐味であり、多くの観光客にまず驚きと興奮を与えること―それは世界でここにしかいない野生の動物たちを、まさに目と鼻の先で観察できることである。ゾウガメを始めとしたハ虫類、海鳥、陸鳥、そしてアシカなどの海獣に至るまで、ガラパゴスの生き物たちはそろって、人に対する警戒心を持ち合わせていない。ガラパゴス国立公園のルールには、「公園内の動植物には一切触ってはいけない」という決まりがあるが、アオアシカツオドリが靴の紐を引っ張ってきたり、マネシツグミが手のひらや肩にとまってきたりといった不可抗力によりルールが守れないこともある。一般的に警戒心が強いとされる猛禽類のタカの仲間であるガラパゴスノスリでさえも、鋭いくちばしと爪を肉眼ではっきり確認できるほど近くで観察できる。
アオアシカツオドリのペアを間近で観察する観光客。繁殖期間中は、若干警戒心が強まり、巣に近寄ると威嚇する声を出すこともある(ノース・セイモア島にて波形克則撮影)
ガラパゴスに限らず、世界の島嶼地域に生息する動物たちには、人が近寄っても逃げない、外敵に対する警戒心が薄い傾向があるようだ。一般には「天敵(捕食者)となる動物が存在しなかったため、警戒心を失った」などと説明される。ガラパゴスには、大陸に生息するような大型の肉食動物は今も存在しない。1,000kmの海を渡ることができなかったためである。渡った先では、渡ることができた生物たちの天下だった。捕食者のほとんどいない状況下では、動物たちは警戒心を持たずとも生き残ることができたというわけだ。
まるでポーズをとっているように見えるアシカ。人間と一緒に泳ぎにくることもある。好奇心旺盛な人気者(ノース・セイモア島にて櫻博子撮影)。
この「警戒心の欠如」の理由について、科学的な考察を行ったのが、かのダーウィンだった。ダーウィンは、『ビーグル号航海記』のガラパゴスの章の最後に、諸島の陸上生物(特に鳥類)の警戒心のなさについてあえて取りあげ、この性質に関する考察を記述している。彼は、島民や船員が諸島の生物をいとも簡単に殺すことができることを挙げ、これほど捕獲され殺されているにもかかわらず、なぜ警戒心がないのかを考えた。
ダーウィンの考察を紹介しよう。ガラパゴスに来る前に立ち寄ったフォークランド諸島では、タカなどの猛禽類やキツネなどのホ乳類といった捕食者が存在するにもかかわらず、鳥類は人間に対する警戒心をまったく持ち合わせていなかった。このことから、「ガラパゴスに肉食動物がいないことは、人間への警戒心がない理由にならない」と推測している。そして、「鳥の人間に対する警戒心は、人間に向けられた独特の本能であり、他の危険により得た一般的な警戒心とは別のようである。(中略)またこの警戒心は、個々の鳥が短期間で獲得した性質ではなく、多くの世代を経て伝えられる遺伝的なものである」とまとめている。
ダーウィンが指摘したとおり、ガラパゴスのノスリやミミズクなどの猛禽類により捕食される鳥類やハ虫類はたくさんいる。また彼らは捕食者に対する警戒心は持ち合わせていることになる。つまり対象によって警戒心を本能的に使い分けているということになる。
諸島の生き物たちの警戒心は、人間などある特定の動物に対する部分において、欠けているのかもしれない。しかし警戒心の対象をどのように認識し、それを記憶し、代々伝えているのか(遺伝)はまだわかっていない。いずれにせよ、ガラパゴスに行けば、マネシツグミが頭に乗ってくるし、アシカと一緒に泳ぐこともできるし、写真家顔負けの野生生物の写真を撮ることができるのである。
上/好奇心が強いマネシツグミは、頭の上や手のひらに乗ってくる(エスパニョラ島にて赤間亜希撮影)。
下/ビデオカメラを回しても“お構いなし”のリクイグアナ(ノース・セイモア島にて波形克則撮影)。
最後に、考えさせられるダーウィンの言葉を紹介したい。
「イギリスでは、すべての鳥が人間に傷付けられ、人間を恐れている。一方、ガラパゴスやフォークランドでは、多くの生き物が人間に追われ傷付けられているにもかかわらず、有益であるはずの“恐れ”を持ち合わせていない。このことから、その土地に元々棲んでいる生物の本能が、侵入者の行動や力に対応できる(=逃げる)ようになる前に、その侵入者によってどれほど大きな惨事がもたらされることになるのか、想像に難くない」。
ダーウィンが予言したとおり、人間による捕殺によって一部の島ではゾウガメやフィンチ、マネシツグミが姿を消してしまった。それでもなお、諸島の生物たちは「警戒心の欠如」という特徴を持ったまま、現在も観光客の目を最大限に楽しませている。