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1-3. 進化論着想のきっかけはマネシツグミだった(小野幹雄)

1-3. 進化論着想のきっかけはマネシツグミだった (小野幹雄)

 生物進化の思想を提唱したのは、実はダーウィンが初めてではない。彼以前にも創造説に反して、「世代の経過に伴って子孫は先祖とは違った形を取ることもある」とする考えはさまざまな人によって主張されていた。チャールズの祖父であるエラズマス・ダーウィンもその一人であるし、フランスのラマルクやサンチレール、ドイツのゲーテさえもがそのような考えを持っていたらしい。このことは、進化学の教科書にはよく取り上げられている。

 彼らの主張が本当に進化思想といえるかどうかは議論が絶えないが、ここでは割愛する。ただ少なくともラマルクの説は、「生物の世代の進行にともなって、少しずつ子孫の形が変わっていった」とする、明らかに“進化思想”とみられるものだが、ダーウィンとの違いはその変化を引き起こす原動力(メカニズム)をどう考えたかという点だ。この違いについては次節で詳しく述べるとして、ここでは、ダーウィンに進化思想をもたらすきっかけとなったガラパゴスでの知見について、もう少し紹介しておこう。

ヒントは島ごとに異なる生物の姿

 ビーグル号に乗って1835年9月にガラパゴスに到着したダーウィンは、そこで見た数々の動物たちの特異な姿や生態に驚きながらも、前節で書いたように、それらが大筋としては南米大陸の動物の変化の範囲内だと見て取っていた。『ビーグル号航海記』には次のようなことが書いてある(航海記/同年10月8日の項)。

 ローソンという群島副知事(イギリス人)がダーウィンに語ったところでは、ゾウガメの甲羅の形や模様は棲む島ごとに違っていて、島民は甲羅を見ただけでどの島のゾウガメかわかるという。

 ダーウィンはこのことをあまり気にとめなかったそうだが、あとになってゾウガメだけではなく、フィンチマネシツグミなどの陸鳥類の羽色やくちばしの形、さらにスカレシアサボテン類などの植物の形態にも島ごとの違いを認めている(標本を送った専門家から指摘された)。気候や地形、地質など物理的な面ではよく似ている島の間で、そこに生きる動植物相互は大筋として類似しながらも、明らかな差異があることに注目したのである。

 同じような違いはガラパゴス諸島と南米大陸の生物との間にも、もっと大きなスケールで認めることができた。ダーウィンはそのことを、島同士はもちろん、島々と大陸との間も深い海に遮られているためだと考えた。つまりこのような海洋島では、動植物が海を越えての移動が困難なために、それぞれの場所に定着して世代を重ねる間に少しずつ違った子孫を創っていったとする考えで、これはまさに「種は変化していくもの」とする生物進化の思想であった。

島ごとのカメの甲羅の違い

棲む島ごとに異なるゾウガメの甲羅。各島でそれぞれ別の亜種とされている。

図:『ガラパゴス諸島』(伊藤秀三/角川選書)をもとに作成

島ごとのカメの甲羅の違い

スカレシアの違いと各島分布

固有植物スカレシアの島ごとの分布(チャールズ・ダーウィン研究所資料より)

図:Tye, A. (ed.) 2003. Plant Research for conservation in Galapagos. Research for the years 1998-2003. CDF. P.23をもとに作成。

 

スカレシアの違いと各島分布

フィンチのくちばしと採餌領域

ガラパゴス固有の陸鳥フィンチ各種のくちばしと食性。島ごとに違う亜種では、餌の採り方と羽毛の色、くちばしの形が異なる。

図:Bowman, 1963をもとに作成

フィンチのくちばしと採餌領域

『種の起源』の記述

 ダーウィンの帰国から20年あまり経って出版された『種の起源』では、大西洋のケープ岬諸島の生物はその島固有の種が多くても全体としてアフリカ的であるのに対し、ガラパゴスのものは南米大陸の生物に似ていると、さらに踏み込んだ記述をしている。

 同様の印象は、ガラパゴスより前に立ち寄ったアルゼンチンでも受けていた。ラプラタ川沿いに化石の調査をしたとき、そこで掘り出したアリクイ類の化石は、新しい地層から出るものほど現在生きている種類に近いものだった。これも生物が世代を重ねるうちに姿を変えて現生種に近づいていった証拠といえる。

 ところで、「ダーウィンはガラパゴスのゾウガメやフィンチから進化論を着想した」といわれることがあるが、彼が諸島滞在中、唯一形態の違いに気づき、島ごとに標本を採取したのはマネシツグミ(3-8参照)だった。