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1-2. ダーウィンが見たガラパゴス 進化論を予感させた動植物(小野幹雄)

1-2. ダーウィンが見たガラパゴス 進化論を予感させた動植物 (小野幹雄)

『ビーグル号航海記』によれば、イギリス出航後最初に訪れたのはスペイン領カナリア諸島のひとつ、テネリフェ島であった。大西洋に浮かぶ海洋島で、富士山よりも高い火山を持ち、固有の動植物が豊富な島だった。しかし当時のイギリスではコレラが流行しており、そのイギリスから来たビーグル号の乗組員たちは上陸を拒否され、ただちに出港を余儀なくされた。

 ここでも“もし”ということが許されるなら──テネリフェ島(あるいはカナリア諸島)で固有生物たちを見ていたら、ダーウィンの進化思想はガラパゴス諸島訪問より前に、ここで芽生えていたかもしれない。

航海記からひも解く、進化論の着想

 カナリア諸島上陸をあきらめたビーグル号はその後、大西洋のベルデ岬諸島を経て南米大陸のブラジルに向かった。ところで、出航前に艦長のフィッツロイが語ったところでは、ビーグル号の航海予定は3年あまりの予定だった。まさか5年もかかるとは、ダーウィンには予想もできなかったようである。

 南米大陸に到着後、アルゼンチン、チリ、ペルーなどでは船を離れ、陸上の調査も行い、いよいよ1835年9月に太平洋上のガラパゴス諸島に到達した。ビーグル号はこの年の9月15日から10月20日までガラパゴス海域に滞在しており、その間ダーウィンは4つの島に上陸している(下図参照)。

 ガラパゴス諸島は太平洋の東、南米大陸から1,000kmほどのところにある島々だが、かつて一度も大陸と陸続きになったことのない海洋島2-9参照)である。海底火山起源の島々で、特に諸島中央から西にかけて散在する島々は、現在も火口を持ち、もっとも月に似た島などともいわれている。そこに巨大なゾウガメをはじめ、海に潜るウミイグアナなど、特異な姿や生態を持つ動物たちや、この群島にしか見られない固有の植物たちに特徴づけられている。ダーウィンが訪れたときにはまだ海洋島としての地学的な確証は得られていなかったが、彼はそう信じたようだ。また、これらの動植物の特異さは、全体としては中南米大陸の生物種に近いものだということも、彼は見抜いていた。

「これらの生物は大筋ではアメリカ大陸の生物たちと著しい類縁を示している。(中略)群島はひとつの小世界をなしているが、むしろアメリカの一衛星というべきもの」(『ビーグル号航海記』)といっており、しかも「大陸からわずかの漂民が到着し、その土着生物の一般的特徴が伝えられた」とも書いている。つまり何らかの方法で海を渡ってこの群島にやってきた生物の子孫が、その後の繁殖の結果、現在の姿になったとの考えを持ったようだ。

 当時のキリスト教世界では、旧約聖書の創世記にもとづき、地球上のすべての生物は神様(創造主)によって創られたものと信じられていた。神による創造以降、代々その親と同じ姿形で子孫が生まれ、今日に至った。そして、祖先と子孫は全く同じ姿をしており、したがって今日世界に存在する生物の種類数は、創造されたときと同じ数だけある(種の不変)とする「創造説」である。

 一方、ダーウィンがガラパゴスで見た生物たちは、南米大陸の生物の子孫であり、島の新しい環境(餌や気候、他の生物との相互関係など)の中で世代を重ねるごとに、その環境にふさわしい姿に変わっていったとするのが彼の解釈だった。これは進化思想そのもので、創造説とは相容れない。つまり同じ祖先から出た子孫でも、育った環境が違えば異なる形の子孫ができる。これが積み重なればやがて新しい種が誕生することもあり得るわけである。

ガラパゴス周辺海域内のビーグル号の航路

ガラパゴス周辺でのビーグル号の航路は複雑だ。ダーウィンはサン・クリストバル、フロレアナ、イサベラ、サンティアゴの4島に上陸している。

図:『ダーウィンの生涯』(八杉竜一/岩波新書)をもとに作成。

ガラパゴス周辺海域内のビーグル号の航路

ダーウィン像の今昔

ガラパゴスを世界の人々に知らしめたチャールズ・ダーウィンの石像 。1950年にはサン・クリストバルの寂れた海岸にあった(上)が、今は同じ島の街中に立て替えられた(下)。写真上/小野幹雄撮影、写真下/波形克則撮影

ダーウィン像の今昔